人間のすがるもの
先日、宗教勧誘に出くわした。
夜八時頃だったか、買い物に行こうと外に出ると「おお!!」「君!待ってくれ!」と二人の男に声をかけられた。
何事かと思うとその二人から一枚の紙をもらった。
見たら分かる。おそらく新興宗教だ。
ここで私はその二人は宗教勧誘をしているということに気づいた。が、離れようにも話を続けてくるので離れられない。
そんな中でそのうちの一人が途中でこんなことを言い出した。
「君、南海トラフがいつ来るか知ってる?すぐだよね?今の政治はどう?やばいよね?これから先苦しいことばかりでよくならないよ。だからこうした世界から救われるには私たちの教祖を信じるしかないんだよ!」
その後、私はどうにかこの二人から逃れたのだが、この発言がやっぱり気になった。
何故その宗教を信じればを救われると考えるのだろうか?
冷静に考えれば、行動すればいいだけだ。宗教が盛んだった古代・中世に比べ、私たちができることは多いはず。
なのに何故?
そのように何日か考えていたある日、あることに気づいた。
彼らは単に安心感が欲しいだけではないか?と。
彼らは何も本当に救われるとは思ってない。信じれば救われるような世界でないことは分かってる。
でもこの世界に起きる自然災害や世界情勢の悪化といった将来起こるかもしれない苦痛に対してはどうしようもない。
ならばどうする?
結果何かにすがることで救われると信じ、安心できるのではないか?
無論彼らは洗脳に近い状態、というか洗脳されていると思われるので、これはあくまで想像だが。しかし実際、古代・中世に宗教が盛んだった理由もそんな感じであることを考えるとあながち間違いではないのではないか。
そうした宗教でなくとも、私たちは様々なものにすがっている。例えばアニメやゲーム、あるいは音楽やスポーツ等「これがしないと生きていけない」といった趣味を持つ人も多いはずだ。
日本はよく無宗教の国といわれる。しかし実のところ、私たちは無宗教なのではなく信仰するもの、すなわち「すがる」ものが人によって違うだけかもしれない。
もっとも、どのジャンルでもハマりすぎるのはよくないかもしれない。しかし、何も信じられず、苦痛から逃れるために自殺してしまうよりは何かにすがっていたほうが良いのだろう。
そういったことを考えると、宗教というものも決して悪いわけではないのだろう。
...無論、問題のある宗教を信仰するのはどうかと思うが。
P.S.宗教勧誘に出くわしても乗り切れるよう、正しい宗教の知識は必要だろう。そう考えると高校倫理の宗教分野の学習はとても重要だ。